人気ブログランキング | 話題のタグを見る

スラップスティック

brightman.exblog.jp ブログトップ

独善の回帰、そして緩慢に上昇する

「この世界には男と女がいる。そして男女は愛し合うことができる」
「いきなりなにさ」
「こんな体験はないかな? それまでずっと友だちだと思っていた異性が、ある日突然、恋の対象として変幻してしまう。あれ? こんなにカッコよかったっけ? とかさ」
「そこまではっきりはしてないけど、なんかいつの間にか気になってたりするもんだよね」
「それをいいかえると、君は愛の感情のもとに他人を捉え直していることになる。言っていること、わかるかな」
「意味不明」

「愛するという出来事は、一方に愛する主体がいて、他方に愛される対象がいるというものじゃない。愛する主体も、愛される対象も、愛するという感情が生まれたときにはじめて、その関係性のもとに顕現するんだ」
「なるほどね。それがない恋人たちもいるだろうけど」
「じゃあ、愛するという感情はどこから生まれてくるんだろう?」
「うーん・・・頼りになるから、一緒にいると楽しいから、とか」
「それはすなわち、自分との差異、自分にはないものを欲望しているということだよね」
「自分一人で満足しているなら、他人を求める必要はないよね」

「男と女というくくりで愛嬌とか度胸とか、受動的とか能動的とかがあるのではない。二人の人間に差異があったため、それらを男と女と呼ぶようになった。こういう対立概念は、僕らの世界を組織化するために無数にある」
「差異への欲望によって構造化された社会ってことか」
「僕らは欲望しつづけるように構造化されている。愛する女性を手に入れたくらいじゃそれは収まらない。いくら触れても、決して満たされることはない。だとすると、僕らはさらにその彼方を目指していることになる」
「その彼方って?」
「いまだ存在しないものだよ。触れると消えてしまうけれど、触れる直前までそこにあったように思えるもの。その、存在の仕方を目指している」
# by blazeknight | 2008-09-30 11:15 | 暗闇の焦燥、世界の受容

私はどこにも還らない

「まず、私という人間の成り立ちは、他者と自分を区別することが出発点だ」
「同じ人間なのに、私とあなたはなぜ違うのかという問いはその時点において解消済みね」
「私はぜったいに他人の経験を共有できないという独我論からもそれは当然のように導ける。問題は、他者自身だって自分の存在をよくわかっていないのに、なぜ私自身の存在だけは確固として顕現するかだ」
「基準を策定できないから?」
「基準にできるものといえば、自分と他者、そこに現れてくる境界線上にしかないのだけれど、それでは自分の主体が絶対的に立っている場所がわからなければ、語ることはできない」

「私は私というものをどうやっても語れないの?」
「いや、他者を並列に存在するものとして捉えているからそうなるんだ。ここが従来の存在論の限界だと思う。だから、違う仕方で私自身を捉える。すなわち、私は他者への依存によって基礎づけられ、構成されている。僕が建物だとしたら、他者は建築資材みたいなものだ」
「私もその建築資材の一部ってわけ?」
「建築資材はメートル法などの度量衡で統一された規格で作られているだろう。僕を基礎づける渦巻きの中にいるかぎり、僕を絶対基準とした他者のあり方が語られることになる。すなわち、僕は絶対基準の位置に降り立ち、他者を自分の同一者として巻きこみながら、自分の存在を確固としたものに作り上げている」

「でもそれじゃ、この世に存在するすべての人間が、あなたを基準とした単なる現象に成り果ててしまう。そこに絶対的な他者は存在しえないから、やっぱり死人はいままでどおりの扱いを受けるんじゃないかしら」
「他者の他者性を自分のうちに取りこんでしまった以上、それは自分とはまったく関係ない事象として現れてこなければならない。そうなると、今度は私自身の現象の捉え方を変えていく必要がある」
# by blazeknight | 2008-08-16 14:49 | 暗闇の焦燥、世界の受容

幸運の君主権

「偶然なり必然なり、私たちはこの世界に存在することから避けられない。存在を終了させるのは死ぬことだけね」
「うん、でも、ただ死ぬだけじゃ本当に死んだことにならないって最近思うんだ」
「本当に死ぬ?」
「さっきもいったけど、無人島にずっと住んでた人でもないかぎり、だれかの死が持つ本質的な意味は、現世に生き残った人の記憶や記録にその人の存在を残すことにある」
「でなきゃ安心して死ねないわよ」
「それはそうなんだけど、墓参りなり遺産相続なり、だれかがその人を思い出すたびに復活するのは、なんだか生者の勝手な都合だと思うんだ」
「その意味じゃ子孫が絶滅したり系譜が途絶えたりでもしないと、私の存在は永遠に消えないことになる」
「死者は死ぬことを拒絶されている。僕たちが死者を存在していたものとして扱うかぎり、死者は死なない」

「本当にそれが死者のためになるかどうかは別として、それは死者の意味そのものを変えることにならないかな」
「意味を変えるというよりは、『生』と『死』の存在論を捨てなきゃならないということだね。『死』の対極に『生』はなく、『生』の対極に『死』はない」
「対立概念として捉えることでしか定義できないんじゃないの?」
「対立概念という存在論そのものを変えなきゃいけないんだ。死者は生きていない者、ではなく、もっと違う仕方で語らなきゃならない」

「私自身のあり方も変える必要がありそうね」
「まず、僕が生きているとはどういうことなんだろう? 存在するというのはどういうことなんだろう?」
「根源的な問いに戻ってきたね」
「僕らは従来の存在論を飛び越えて死者が死ぬということについて語ろうとしている。根源から問い直していくのは当然だろ?」
# by blazeknight | 2008-07-06 13:59 | 暗闇の焦燥、世界の受容

武器なき沈黙者の破滅

「よくは知らないけど、存在論はなにかが有るか無いかを語ることじゃないの?」
「存在論は存在することを語ることさ。存在しないものを語るのはそもそも難しい。言語の原理上難しいんだ。言語は存在するものを基礎に構築されているから、なにもないことはその否定形を使うしかない、もしくは、無に対して、沈黙しなければならない」
「無を語ろうとすることは私たちの言語じゃ不可能ってこと?」
「語ろうとすることはできる。しかしその行為は空疎なものでしかなく、口から言葉を紡ぎだそうとする瞬間、透明になって蒸発していく。つまり」
「死者という無の存在を語ることはできないというのね? でもそれは、言語の存在論と、この世界に事実として存在した人間の存在論をごちゃ混ぜにしてない?」

「そう、僕らは言語を使い、日常的に死者を会話の俎上に上げる。だけど、よく考えてみてほしいんだ。僕らが死者を語るとき、その人が存在してることを語るんじゃない。その人が存在していたことを語るんだ。ようは、その人を知っているだれかに残っている記憶やどこかに残っている記録について語っている」
「私たちは死者のことを話しているつもりでも、その人の存在についてはなにも語っていない。語ろうとしても語ることができない。私たちは死者という無に言及する術を持たないから。そういうこと?」
「当然ながら、死者はこの世には存在しない。もし語ろうとするならば、僕らは生きながらにして黄泉の世界にいき、その人のことを話さなくてはならない」

「じゃあ、死者を弔う行為についても無意味だというの?」
「そんなことはないよ。僕はもう少しだけ意識を変えてほしいと思っている」
「うん?」
「死者は言語で表現できる器の中に入らない以上、徐々に使われなくなり、そのうち忘れ去られていく運命だ。だからみんな歴史に名を残そうと、必死に功名成り上がろうとする」
「人間の愚かなかわいさよ」
「自分が忘れられない、もしこの世に間主観性をずっと残そうとするならば、功名を上げることじゃなくて、たくさんの人に、その人の記憶に強く残るような行為をするべきだ。そうすれば死者は身が滅び、現世で無の存在になったとしても、その人の記憶の中でずっと生き続ける」
「そして死者を弔うたびに思い出され、復活する」
「本人そのものについてはずっと語り得ないままだけどね」
# by blazeknight | 2008-06-07 13:58 | 暗闇の焦燥、世界の受容

灼熱の月の詩

「こんなこと言うのは不謹慎だと言われそうだけど、普段から僕らは死者に対してうやうやしすぎると思うんだ。僕らは僕らは死者に対してどういう態度で接している?」
「そうね、家族だったり友だちだったりで異なるとは思うけど、願いとしては、『生前は私たちのお世話をしていただきありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください』ってとこかな。お盆やお彼岸にはだいたい墓参りに行くし」
「たとえ行方不明で遺体が見つからない人でも、必ず葬式はあげるよね。どうか僕たちを呪わないでくださいと言わんばかりだ」
「死者たちは私たちの礎を築き上げてきた人なのよ。感謝してしすぎることはないと思うけどな」

「感謝することは別にかまわない。個人的に親しかった人の間には複雑な思いがあるだろう。僕にとってざらつくような違和感を覚えるのは、死者があたかもまだこの世に存在しているかのように扱うことだ」
「お盆に先祖の霊魂が茄子の馬に乗って家に戻ってきたりとか?」
「儀礼的なことならまだいいけどね。僕らはさ、ひとりひとりが社会なり学校なりなんらかの共同体の構成員という役割を担っている。そんなふうに人間が相互に対して存在するとすれば、僕の自我や他人の他我は客観化され同質化される」
「間主観性ってやつね」
「でね、もし僕がこの世の最後にたった一人生き残ったとする。僕はこうつぶやくだろう。『僕はひとりだ』これって、なにかおかしいことがわかる?」
「ひとり、という発言は他我の存在を前提にしているからこそ成り立つ。でもあなたひとりしか人間が残っていないのだから、おかしいっていうことね」

「そしてここで最後のひとりの僕が死んだとします。さて、世界はどうなってしまうでしょう?」
「世界の存在を証明できる人がいなくなるから、消滅してしまう」
「いいや、僕が消滅したあとでも、世界は存在している。なぜなら、証明者が存在しようとしまいと、世界の存在は間主観性によって担保されている。僕は死ぬ前に、いままで他者が死んだのと同じように、間主観性をその世界に残していくから」
「でも、間主観性の概念は、だれか主観性を持った人に引き継がれなきゃ残らないんじゃない?」
「そこにあるのは完全なる思考の無だよ。無は存在論の内にも外にもありえない。存在論では無を語ることはできない」
# by blazeknight | 2008-05-02 23:13 | 暗闇の焦燥、世界の受容
line

一部の人に捧ぐ。更新は気まぐれ。


by blazeknight
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31